おもてなし力向上委員会

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京都・夏の風物詩 "祇園祭"を散策!!

皆さまこんにちは(^^)/

いかがお過ごしでしょうか!

京都は、夏の風物詩、祇園祭が行われており、7月1日から7月31日の1ヶ月に及ぶ祭りも終盤にさしかかっております。


 

今年は3年ぶりに、山鉾巡行が行われ、街も以前の賑わいを取り戻していました♪

先日、久しぶりに幾つか山鉾を見てきたので、少しご紹介いたします!

 

・・・祇園祭の歴史・・・

祇園祭は、平安時代869年、地震や社会不安、疫病が流行した際、中京区にある神泉苑に、当時の国の数にちなんで66本の鉾を立て、神輿を迎えて災厄が取り除かれるよう祈ったことが始まりとされています。

 

応仁の乱山鉾巡行は一旦途絶えたようですが、1500年に再興され、 その後、中国やペルシャ、ベルギーなどからもたらされたタペストリーなどを各山鉾に飾るようになりました。

山鉾は、装飾品の豪華さゆえに、「動く美術館」とも呼ばれています。

 

宵々山、夕方から四条烏丸付近は歩行者天国

 

ここ数年で一番の賑わい。

 

長刀鉾なぎなたほこ)

毎年、山鉾巡行の先頭を受け持つ鉾。鉾の中で唯一生稚児が乗り、必ず先頭を巡行する事から「くじとらず」と言われています。

鉾頭に疫病邪悪をはらうとされる大長刀を付けており、元は三条小鍛冶宗近(さんじょうこかじむねちか)が娘の病気の回復を祈願して八坂神社に奉納されたものだと伝えられています。

 

駒形提灯にも鉾ごとにこだわりがある様で、形や大きさ、デザインは様々です。祇園祭に華を添えて、特別な雰囲気を演出しています♪

 

長刀鉾の提灯

 

函谷鉾かんこほこ

函谷鉾は、応仁の乱以前に起源を持つと言われており、くじ取らずの鉾として、長刀鉾に次いで鉾2番目に巡行し、鉾櫓、屋根の規模で最大級の鉾の一つです。

古来中国戦国時代、斉の孟嘗君(もうしょうくん)が函谷関(かんこくかん)で家来に鶏の鳴き真似をさせ、関門を開かせ難を逃れたという史話から「函谷鉾」と名付けられました。

 

 

 

月鉾(つきほ

昔は「かつら男ほく(ほこ)」と呼ばれていましたが、鉾頭に“新月”をいただき、真木のなかほどの天王座には“月読尊”を祀っていることから、その後“月鉾”と呼ばれるようになったと言われいます。

山鉾の中で最も背が高く、さらに重量も12トンを超える最も重い鉾です。また、装飾が細部にいたるまで素晴らしく、天井の帖扇面散図(じょうせんめんちらしず)など、絢爛豪華さは山鉾の中で随一です。

 

蟷螂山(とうろうやま)

「蟷螂(とうろう)」とは「かまきり」のことで、別名「かまきり山」と呼ばれています。

「蟷螂の斧を以って隆車の隧(わだち)を禦(ふせ)がんと欲す」という中国の故事にちなんだ山で、かまきりと御所車の車輪が動くなど、祇園祭の山鉾としては、唯一の "からくり" が施されており、大変人気があります。

前祭りでは、かまきりがくるりと回って占う「からくりおみくじ」が設けられ、おみくじを引きに多くの人が訪れていました。

カマキリがでかいです^^;

 

山伏山(やまぶしやま)

昔八坂の法観寺の塔が傾いた際に、法力によってそれをなおしたという浄蔵貴所(じょうぞうきしょ)をご神体としています。

またこのご神体が山伏の姿をしていることから「山伏山」と呼ばれています。

 

今年は前祭りの宵山には約30万人、山鉾巡行には約14万人の人出があったようです。

7月29日の神事済奉告祭、7月31日の疫神社夏越祭をもって今年の祇園祭も全て終了いたします。

疫病の退散を祈願して始められた祇園祭でもありますので、今年の後半戦は良い半年になるよう切に願うばかりです。



(スタッフ Y.S)

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