皆さまこんにちは!
いかがお過ごしでしょうか(^^)/
今回は、京都の中心部を南北に流れる『鴨川』についてサクっと紹介いたします♪
鴨川の歴史
鴨川の歴史は、京都の都市自体の歴史と深く結びついています。
平安京が京都に遷都された794年から、鴨川は京都の発展に大きく貢献してきました。
かつては、貴族や武士、そして市民の生活の源として、また物流の要として、重要な役割を果たしてきました。
平安時代には、鴨川のほとりは貴族たちが楽しむ場所でもあり、川遊びや月見など、四季折々の風情を楽しむ文化が根付いていました。また、川は市民の生活水としても利用され、京都の人々の生活に欠かせない存在でした。
名前の由来
鴨川の名前の由来は、平安京造営の前からそのほとりに住んでいた「賀茂氏」に由来しているという考え方が一般的です。
賀茂氏の氏神をまつる上賀茂神社と、出町付近の下鴨神社にちなんで高野川合流点より上流を「賀茂川」、下流を「鴨川」と呼ぶことが多いです。
鴨川の名前の由来とされる賀茂氏は、古代に大和から移住してきた豪族で、鴨川の上流域に本拠地を構えました。賀茂氏は、鴨川の水を神聖視し、その氏神として上賀茂神社と下鴨神社を祀りました。また、鴨川の水を利用して農業や工芸を発展させ、平安京の造営にも貢献したとされ、鴨川の名前の語源となっただけでなく、鴨川の歴史や文化にも深く関わっていた豪族だとされています。
三角州(鴨川デルタ)
京都市内を流れる鴨川は、出町柳付近で高野川と合流し、独特の三角州を形成しています。この地域は「鴨川デルタ」と呼ばれ、若者や学生たちが集う人気のスポットとなっています。
また数々の映像作品の舞台、ロケ地となっている事もあり、「聖地」としても知られています。
ちょっと怖い鴨川のダークな側面
三条大橋周辺は、現在は賑やかな観光地として知られていますが、かつては処刑場としての役割を果たしていたと言われています。
・処刑場としての三条鴨川
江戸時代、京都は幕府直轄地として、特に治安維持には厳しい措置が取られていました。その一環として、罪人の処刑場が設けられ、その一つが鴨川の三条近くだったと伝えられています。当時、処刑は公開されることが多く、社会的な抑止力を目的として行われていました。鴨川三条周辺の処刑場は、そのような時代背景の中で機能していたとされています。
・なぜ三条周辺だったのか
三条大橋は、京都を代表する橋の一つであり、古くから市内の要所として位置づけられていました。そのため、処刑場をこの地に設けることで、より多くの人々にその存在を示し、法に背く行為への警告とする意味合いが強かったと考えられます。また、処刑された人々の遺体は、川に流されることもあったと言われ、鴨川が自然とその役割を果たしていたことがうかがえます。
まとめ
鴨川は、過去も現在も京都の人々の暮らしに寄り添い続ける、変わらぬ美しさを持つ場所です。
川のほとりで時間を過ごすことで、京都の豊かな歴史と文化、自然の息吹を感じることができるかもしれません♪
お近くにお越しの際は、立ち寄ってみてはいかがでしょうか(^^)/
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